チーム紹介

京都小学生フラッグフットボール大会

サウスベアーズ杯

                          アメフト人気拡大、競技人口増加、地域貢献のため、
                          小学生のフラッグフットボール大会の支援を行っています!
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京都サウスベアーズ,佛教大学ホークス,京都外国語大学ファイティングブルドッグス 3チームが審判として参加!!

ROTUS BOWL

夏はJPFF加盟チームで協力し                         京都小学生フラッグフットボール大会の運営や審判を行っています。

 

協賛

当チームは田井整骨院、田井覚 院長にメディカルサポートをお願いしています。
練習や試合でのテーピングによる怪我の予防や相談などお世話になってます。
また、整骨院に通院している選手もいるとか、いないとか。
整骨院に興味がある方は下記リンクをクリック!
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田井 覚 氏
柔道整復師、バイタルリアクトセラピー協会員
田井整骨院ホームページ
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HISTRY

*** 1980年代 ***
 1984年 西田忠雄氏を中心として京都サウスベアーズ発足。部名の由来は、発祥地が京都市南区で、熊の様に激しく荒々しくという所から。発足当初は練習場所が定まらず転々とする。夜の児童公園、レストランの照明の下での練習と創部期の苦労話は絶えない。雪の中で防具なしのタックル練習、たった3人だけの練習もあった。夏頃にようやく、府立医大病院裏鴨川Gに定着。

初代ユニフォーム・赤(上)と白(下)。番号…白.ヘルメット…赤のみ。
 1985年 旧スコルピオンズ・ファルコンズ解散により部員増加。有力選手が多数入部し、戦力アップで盛り上がる。この頃、試合でのもめ事が絶えず蛮勇なエピソード多数。
 1986年 ユニフォーム変更。SF 49ers カラーへ。白(上)と金(下)に赤線。番号…赤。ヘルメット…金に赤ラインに。新調したてのユニフォームも大敗した試合でボロボロに…。
 1987年 せいぜい1勝止まりで試合での乱闘、部内でのケンカ?もあり、「柄は悪いが試合は弱い」という、ありがたくない評判が立つ。部員不足で、3Qまで10人で試合に望んだ事も…。この試合、棄権するかどうかで大激論!結果、大敗はしたが意地で棄権せず。当然選手は攻撃・守備常時両面出場。マネージャーも誰かの彼女がパラパラと手伝いに来る程度。この頃、創部以来最少の部員数で部の存続の危機・苦しい低迷期が続いた。
*** 1990年代 ***
 1990年 今のユニフォームに変更。紺(上)と白(下)。番号…白.メット…紺に赤ライン。
 1991年 リクルーティング強化。雑誌掲載、ビラ張り等の活動で当時チームの中核をなす部員(学生中心)が大量入部。劇的な戦力アップに。選手層の厚みが増し、練習内容も濃くなる。KGLリーグ戦で過去最高の3勝で万年下位脱出へ。経験者を含めた多数の有力選手の入部。幹部スタッフ による定期ミーティングを毎月1回開催するなど、チーム運営の安定・強化が好成績の要因。
 1992年 RS,DW,RJ戦の初勝利を含め、毎年5割以上の成績を上げる。地道なリクルート活動による有力選手の加入、練習内容と戦略面での充実が計られ、中位から上位への躍動の年となった。春のJP BOWL SERIESでも二年連続でベスト4入りを果たす等、優勝を狙える実力を備えるようになる。
 1994年 部設立10周年記念催事開催
 1996年 キックゲームでの優位性と堅い守備で、KGLリーグ戦5勝1敗の3位となり“優勝”まであと一歩の所に。DH戦初勝利
 1997年 春から看板の鉄壁ディフェンス陣好調でJP BOWL SERIES初制覇。その勢いのままに、KGLついに初制覇!接戦が続き、試合終了直前の大ピンチも粘り強くしのいでの栄冠。そして川崎 球場で雨中に行われた全日本選手権(vs立川ファルコンズ)も激戦の末、13-6で制覇!年内無敗のパーフェクトシーズンで苦節14年目での輝ける栄光。ついに、頂点に立つ。
 1998年 KGL二連覇で全日本の二連覇を目指すも、西日本代表戦で惜しくも敗退。捲土重来を期す。正式にOB会(OLD BEARS)発足しさらに組織力強化。
 1999年 春のJP BOWL SERIES制覇。そして設立16年目の秋、苦しみながらもKGL三連覇。関西制覇を固いチームワークの勝利で果たし、川崎球場での全日本選手権(vsフジテレビスティーラーズ)をも制覇し再び日本一の座に着く。⇒ 当時の会報
*** 2000年代 ***
 2000年 春のJP BOWLは予選で敗退するも、秋シーズンは完璧なまでに勝ち進み、見事KGL四連覇達成。西日本代表戦もライバル・アグレッサーズを完封に押さえ込み、関西二連覇を成し遂げる。しかし、大雪のため横浜スタジアムで行われる予定の全日本選手権は中止。消化不良のままシーズンを終了することとなった。
 2001年 春のJP BOWLはオフェンス・ディフェンスがかみ合い、無失点で完璧に優勝。また、秋シーズンも完璧に勝ち進み、見事KGL五連覇達成。西日本代表戦はブートレッグスに終了間際詰めよられるもギリギリ逃げ切り、関西三連覇を成し遂げる。前年の無念を晴らすべく全日本選手権に進んだが、2年前倒した相手フジテレビスティーラーズに足元をすくわれ惜しくも勝利を逃し、不本意にもシーズンを終了した。⇒ 当時の会報
 2002年 日本選手権での屈辱を晴らすべく第一歩の春のJP BOWLであったが、ライバル・アグレッサーズの前になすすべなく大敗を喫する。しかし、KGLではジョーカーズに引き分けるも見事六連覇達成。いよいよ日本選手権への道が開けたと思った瞬間、西日本代表決定戦準決勝でまたもやリーグ戦と同じジョーカーズにタイブレークの末破れ、シーズンが終了してしまった。
 2003年 近年参加チームの減少が著しい春のJP BOWL。今年は14チームのみの参加。2回戦でまたもやジョーカーズと引き分け、コイントスで敗退となった。秋のKGLでは伏兵レッドクルセイダーズに足元をすくわれるが、次のジョーカーズ戦で残り1秒からの逆転TDで勝利を収め七連覇達成。しかし、前年と同じく西日本代表決定戦準決勝でそのジョーカーズに惜敗を喫してシーズン終了。全日本への道が阻まれた。
7月19日に,創部20周年パーティーを開催。関係者間の友好を深める。⇒ 当時の会報
 2004年 春のJP BOWLは接戦を制して三位に滑り込む。秋本番シーズン、再度全日本制覇目指したが、KGLでジョーカーズに1TD差で敗退。7年間守り続けてきたKGL王座をついに明け渡す。横浜への出場を目指して挑んだ、西日本代表決定のプレイオフでは、強敵BL、バイソンズを下し、いよいよ雪辱を期してRJと再戦。前半食い下がったが、後半息切れしてまたも敗退。あと一歩のところでおしくも涙を飲んだ。
 2005年 強力な新幹部の布陣でスタートした05年。春のトーナメント決勝戦は、後一歩届かずで準優勝。雪辱を期しての秋シーズン。順調に勝利を重ね最終戦でまたもやRjと全勝対決。粘り強く食い下がったが、ついに力つきて王座奪回ならず。西日本代表戦は、プレイオフ初戦で伏兵武庫川Wに足元をすくわれ、不本意なシーズン終了となってしまったが、部の運営面などで再生への基礎固めとした一年となった。
 2006年 主力級の引退等で戦力不足となった06年。原点を見詰め直しチーム一丸となって戦うも苦戦の連続。春は全敗の屈辱を味わう事となった。まさに少数精鋭で完全燃焼を目指した秋シーズンでは、なんとか立て直しを図るも、2敗を喫してプレイオフの出場はならず。久しぶりに早々のシーズン終了となった。
 2007年 有力新人加入で春のシーズンは大阪の勇・BLに引き分け、AGに惜敗とある程度の成果が出た春となった。その勢いで突き進んだ秋本番だったが、勝負所でミスが出て中盤で思わぬ星を落とし、雪辱を期して前年の覇者RJに挑むも、終盤食らい付き切れずに敗退。昨年同様、残念ながらプレイオフ進出はならなかったが、浮上再生のきっかけを肌で感じたシーズンとなった。
 2008年 世代交代でスタッフ一新。ユニフォームも一新で“新風Kyoto South Bears”スタート。デザイナイーズ新ユニフォームデビュー戦は、苦しい面子ながら気力で古豪OCを破り幸先よいスタート。秋はチーム事情によりRC勢の参加で、人数が増え、春からの勢いにも乗りたかったBearsだが、初戦のDWに引き分けたのが最後まで響き、小差でプレイオフをまたも逃す結果となった。
 2009年 イケ面ユニフォーム効果か、若手有望新人が入部。春から手応え感じ、秋本番“新風Bears”はRJに食い下がりあと一歩及ばず…。しかし久々に進出したプレイオフでは、大阪2位のOCMと死闘のオーバータイム末に撃破。再びRJとまみえる事となったが、惜しくも敗退。復活の足がかりとなるか。8月30日、久々にOB交流戦を開催。おじさんチームが現役に勝利…(汗)。
*** 2010年代 ***
 2010年 戦力ダウンで昨季の勢いなく、春全敗で秋シーズンに突入したが、負けん気のBears魂発揮。密なミーティングや若手の成長もあり、KGLでは順調に勝利をつかみプレイオフ進出!昨年の再選となったOCM戦は、残念ながらリベンジされ決勝進出を逃す結果となった。
 2011年 新戦力の活躍もあり春は幸先良く連勝スタート。KGL戦秋本番に期待されたが、あと少しの所で優勝を逃して2位。意を決して望んだプレイオフ1回戦のブートレッグス戦だったが、攻撃が不調で無念の敗退となった。(チームを支えてくれたRockyさんが亡くなる訃報も…)
 2012年 前年の雪辱を果たすべく新たなチーム創りに励んだ結果、春は好調を維持。その調子で挑んだ秋であったが、最終戦RJにあと一歩まで迫ったが及ばず…。プレイオフのアグレ戦も最終Qに逆転され無念の結果になった。近年プレイオフでの壁が厚い。
 2013年 新人の加入もありながらも正QBを完全に固定出来ないまま秋本番を迎え、上位チームには善戦はするものの、地力の差で押し切られてまたも敗退…。(PBはリーグ戦不参加、DWが全試合棄権、OLも部員不足に悩む)
 2014年 新戦力加入により春の試合では宿敵ジョーカーに勝利するなどオープン戦では3勝1敗と善戦。初戦に勝利するも結果は1勝3敗と惨敗。
 2015年 体制を一新し、チームにフィジカルトレーニング、メディカルサポート、チアを迎えて取り組む。春季オープン戦は2勝1分と善戦するも、秋季リーグ戦は1勝3敗。秋に結果を残せないシーズンが続く。
 2016年

オーシャンボウル進出を目標に掲げ、新幹部を発足。春季オープン戦はブートレックスに16対8と惜敗するも2勝1敗1分。秋季リーグ戦は3勝1敗となり、数年ぶりのプレーオフ進出となる。勢いはそのまま、西日本ファイナルは進出するも、長野ブルーパーズに10対0、オフェンス力を欠き、惜しくも西日本準優勝の結果となる。